作成:2007/02/03
更新:2007/02/13
【更新情報】2007/02/13
LAND WALKERの写真を追加
パネリストのサインを追加
2007/1/21にオープンしたばかりの新国立美術館に行ってきました。
今回の目的は以下の3つです(展示期間:2007/1/21 〜 2/4)
到着すると、まずは「LAND WALKER」の案内板があったので行ってみました。
榊原機械製作株式会社製で、実際に人が乗り込んで歩行出来るようです。
武装としてクッションボールを発射可能。
今日は展示のみでしたが、最終日の2/3(土),4(日)は実際に動いている姿を見ることが出来るそうです。
【2007/02/04】
動いているランドウォーカーを見たくて、また新国立美術館に行ってきました。
エンジンがかかった時は「おぉーっ」とどよめきが起こりました。
危険防止用のロープも無く黒山の人だかりの中を歩き回ってます。倒れないという自信があるという事でしょうか。
(総重量1トン)
スタッフがコックピットに乗り込んで弾薬にあたる「やわらかボール」を装填してます。
この人はパイロットではなくスタッフのようです。
歩行ルートの観客が自分の判断で道を空けてました
すり足の二足歩行とはいえ、コックピットはかなり揺れるようです。
右側バルカンタイプから「やわらかボール」発射の瞬間
(黄色いボール)
左側ショットガンタイプは一度にボールを射出してかなりの迫力がありました。
でも動きが早くて撮影出来ず。
射出されたボールは主にお子様達へのプレゼントになってました。
最後にパイロットが一礼。
実際に動く姿は迫力があって見に行ってよかった。
本体の動作は遅いですが、方向転換・バックまで出来るので改良タイプが出たら凄そうです。
[ページの一番上へ]
文化庁主催のアンケートによって選ばれたメディア芸術100作品が展示されていました。
マンガ、アニメーション、エンターテインメント、アート部門があり、懐かしいものから新しい物、珍しいものまで様々でした。
(入場無料)
【マンガ部門】
壁に選ばれたマンガの1ページをA4ぐらいに引き伸ばした物が貼られていました。
一部マンガに付いてはカラーページ、掲載雑誌の展示も。
「ジョジョの奇妙な冒険」は空条承太郎vsDIOの1ページと第一部連載開始時のジャンプ(ジョジョが表紙)の2点でした。
【アニメ部門】
「鉄腕アトム」「妖怪人間ベム」などの白黒アニメから「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」などの最近の映像が流れてました。
【エンターテイメント部門】
「エポック社の野球版」「スペースインベーダーのアーケード機」「1/12 ガンダム/ザクII」「ドラクエ」「FF」など。
ドラクエやFF7などの一部のゲームは動かす事が出来て数年ぶりにファミコンのコントローラーを持ちました。
さらに「ゴノレゴの吉野家FLASH」まで流れていて吹いた。
【アート部門】
「太陽の塔」(写真パネル)以外は知らない作品ばかりでした。
【体感作品】
さらに奥に行くと恐らくNHK「デジスタ」で受賞したらしき様々な体感作品がありました。
近づくと光の花が咲いたり、触ると反応があったり。
中でも面白かったのは、キーボードで文字を入力すると、検索結果がスクリーンに表示され、画像やビデオ、音声がランダムに表示される作品でした。「ジョジョ」と入力すると、コミックスの表紙が派手に表示され、PS2「ファントムブラッド」の映像が表示されたりしました。
その他にも短編CG上映などもあって、この展示物だけで一日は楽に過せそうです。
こんな面白い展示が僅か2週間しか開催されないのは勿体無い。
図録が欲しかったのですが、この日にはまだ発売されてませんでした。
ちなみにこの展示は撮影禁止です。
【2007/02/04】追加
LAND WALKERを見た後、せっかくなので先週も見た「日本の表現力」展示を見に行く。
入り口に先週は無かったパネリストの方々のサインがあった。
他の曜日には女性漫画家さん達のシンポジウムもあったようで華やかですね。
ダメ元でスタッフに撮影していいか聞いたら「個別のアップではなく全体の写真ならOK」との事なので撮影させてもらう。
聞いてみるモノですな。
中央には井上雄彦先生のサインも見えます
最終日だけあってかなり混雑していたが一通り見て回る事が出来た。
先週のシンポジウムも含めてとても面白い企画展だった。
[ページの一番上へ]
日時: 2007年1月26日(金)16:30〜18:00
定員: 200名
会場: 3階 講堂 【入場無料】
出演:
[司会]
浜野保樹(「日本の表現力」展 実行委員)
[パネリスト]
テリー伊藤(演出家)
富野由悠季(アニメーション監督)
井上雄彦(マンガ家)
事前に配られた整理券を持って会場へ
時間になるとテリー伊藤さん、富野由悠季監督、井上雄彦先生、浜野保樹教授の順に入って来られました。
(以下、敬称略)
浜野:
文化庁のメディア芸術祭は今年で10周年
開始する時はどうなる事かと
(メディア芸術という)言葉が無かった
国立新美術館は日本で五番目の国立美術館で日本で一番大きい美術館
第一回の企画展として「メディア芸術」の展示が行われたという事に大変喜んでおります
漫画/アニメーション/エンターテイメントを代表する我々の目標として貴重な方々に来て頂きました
自己紹介のいらないような方々ですが、今日は若い方が多いので参考になるような
どういうきっかけで表現活動に入って来たか
テリーさんと富野監督は大学(日芸)の先輩後輩
テリーさんからテレビというエンターテイメントの世界に飛び込まれて、きっかけはどういうことであったかご紹介頂きたいと思います
テリー伊藤:
大した事なくて仕事が無かったんですよ
何をやろうか迷っていた
実家は築地で玉子焼屋をやっていた
兄貴は働いているし、玉子焼きの熱い煙が上に上がって来てそこで寝てる訳にも行かない
テレビを見ていたらテレビの向こうは華やかだった
ああいう所で、アイドルといろんな楽しい事がしたいな、単にそれだけだった
入ったきっかけは女の子にモテるんじゃないかな、とか
今の若い子も巨乳を見てテレビに行きたいと思ってる人もいると思う
不順な動機でしたね私の場合、すいません
浜野:
大学に入る前から?
テリー伊藤:
カッコイイ仕事で横文字職業、カメラマンとかデザイナーとかそういうのだったら何でもよかった
たまたまTVという所ぐらいしかなかった
知り合いがいたんで入った
何やりたいっていう熱いモノはほとんどなかった
とりあえずやっとこれで給料貰えるな、と
ギリギリの所で入って来ちゃった感じ
入ったら熱い物も出て来た
ギター最初にやった人もバンド組んだ連中も最初は女の子にモテるなんて意外と皆そんな事だったんじゃないかと思う
それに近いものがあった
浜野:
最初の次はどうなんですか?
テリー伊藤:
学生時代から音楽にしろファッションにしろ、物の捉え方が人とちょっと違ってた
そういう部分を引き出せるかなと思って
TV局の企画会議のレベルが低かった
こんな事で1時間も1週間も1ヶ月も費やしていいのかなと思って
自分が最初にメジャーになってヒットしたのは「ねるとん紅鯨団」という番組
学生時代やっているような事をそのままTVでやって行けばいいなと
制作会社に入ったのでほとんどお金が無い
TV局だとメジャーなタレントを抑えられるが、名も無い2,3人でやってる制作会社だと全然抑えられない
TV番組を作っていく上で素人を上手く利用して行くって言う事しか出来ない
素人の人をどんどん使うっていう技を覚えていった
それが「元気が出るTV」の”ダンス甲子園”とか
素人の人をどういう風に上手く使っていくのかなとか色々考えて行った
僕のお袋が僕と違って出来が良くて、優秀なお袋だったんですけど、親父が死んだ時に
寂しさを紛らわせる為にTVの通販ばっかり買っていた
僕は昔の通販は怪しいと思っていた
雑誌の後ろに”宝石を買うと女にモテるとか競馬に勝つ”とか今でもある、ああ言うイメージが僕の中にあった
人格者のお袋がやっていた
「そうか、一般の人はTVをこんな風に信じてるんだ」っていうのがあって
だったらTVで物を売ったらどうなるかなと
そこでタレントショップって言うのを考えた
原宿に「元気が出るハウス」とか、とんねるずの「バレンタインハウス」
タレントの名前を使ったり、タレントさんに絵を描いてもらったり
これはもしかしたら行けるかと思っていたら物凄くヒットした
その頃は給料20万ぐらいだった
徹夜してヘロヘロで20万ぐらいの給料で頑張ったのに売り上げが一日、一千万だって言うんですよ
物を真面目に作って徹夜で編集して20万円で物が売れてる
グッズですね
ヨン様凄いですね
一年間の収入43億ですよ
ヨン様ですからね
おもしろいでしょ?
どうでもいいんですけどね
アレと一緒ですよね
今までは手作りで作っていた物のお金しか無かった
「そんな事ってあるんだ!」と思って心を痛めた時もあった
「今から金が入って来るって言うのは違うだろ」みたいに自分に鏡に言い聞かせて
そんな事をやっていました
浜野:
去年、映画「あおげば尊し」(市川準監督)の主役をされましたよね?
自分のテリトリーであるTVとの差を感じられましたか?
テリー伊藤:
僕は何でもいいんですよ
演出家の時は本当に変態で24時間ずっと演出の事を考えていました
いつもいつも鉛筆持って書いてばっかりでした
お笑いでディレクターをやってましたから
そうすると、どんどん変態になって来るんですよ
人が笑う所と違う所で笑い出す
たけしさんとか松っちゃんなんかもそうだと思うんですけど
ある時、今から14年前ぐらい前に北朝鮮に面白いヤツがいるって思い出したんですよ
金○日ってのがいて
○正日ってのは怪しいヤツだなっていう風に思い出して
それまで北朝鮮ってのはなかなか日本ではメディアで表現しちゃいけない時だったんですけど
TV局で「すいません、”お笑い北朝鮮”っていう番組やりたいんですけど」って言ったら
「バカじゃないの!こんな事やったら朝○総○に怒られるから出来る訳ねーだろ!」
「でも、絶対これ来てるんですけど」って
僕に取ってはマドンナが来てると同じ様に「金正○が来てますよ!」って言ってました
その頃はまだ北朝鮮では金○成の時代ですね
シークレットブーツ履いて、国民にチャンネル2つしか見せないで「俺がいい!俺がいい!」って言ってるヤツがいるんですよって、絶対来るからって言ったら「バカ!」って言われまして
でも、絶対来るからと思って、TVで出来ないなら雑誌でやろうと一冊本書いて
「お笑い北朝鮮」を出版社に持って行ったら、大手の出版社は皆、○鮮○連が怖いもんだから「だめだ」と
潰れそうな出版社に持って行ったら「いいですよ」って言われまして
持って行った段階で、たまたまヒットしましてよかったなと思って
僕にとっては自分が表現する場所はTVの演出でもいいし、物を書いてもいいし、ラジオで喋らせて貰ってもいいし
NHKの大河「風林火山」にも出させて貰うんですけど何でもいいんですよ
こういう事を表現する場所であれば、それがTVであってもラジオであっても雑誌でもあっても、こういう皆さんの前でお話する事も、僕にとっては表現者なんで何でもいいと思うんですよね
浜野:
富野監督はテリーさんの先輩で映画学科ですよね
映画の表現活動から入られようとしたんですか?
富野監督:
いや、全然違います
今でこそ多少は偏差値が高いんだろうけども日大の芸術学部の映画学科にしか入れなかった
しょうがなくて映画学科
しょうがないにしても真っ白けでもなくって写真か映画しかなかったという自分の適正は多少は意識していた
大学卒業して虫プロに就職した時もそうで、大学の4年の10月まで就職運動を一切やっていなかった人間が
あと3、4ヶ月したら大学を放り出されるんだっていう時に
たまたま虫プロが、来春卒業者の見込み試験をやってくれるという事があって
たまたまそれをを受けた
どうしてかって言うと
面接だけだったので受かったっていう
仕事が無いんだから、おそらく他の仕事に就けない訳だから虫プロに行くしかないって言う事で行ったていうだけの事です
まして43年前の話ですから、TV漫画の仕事、漫画を作るプロダクションに就職したって言う話は
社会的に一切通用しない、そういう時代だったので、都落ちもいい処だし、日芸しか出られないって事は
こんな所にしか勤められない自分って言う事を見つめるしかなかった、っていう意味では本当に悲惨な人生の始まりでした
浜野:
いつかはアニメーションの業界から抜けて別の業界に行こうとされていたんですか?
富野監督:
僕が大学を卒業した年と言うのは、一年前から日本の映画会社は新規採用を一切辞めた
つまり映画産業が成り立たないって言う事が分かった
映画に転進する事も出来ない
という事はどういう事かって言うと、TV漫画の仕事で野垂れ死にするしかないっていう覚悟を持ったって言うのが本当の現実でした
僕はテリーさんの話をお伺いしてて
何でもいいんだ、何でもいいんだ、って言いながら何でもいいにしても対応出来る能力を持ってるじゃないかという
反応の速さと実を言うと持ち物があるっていう事がとてもよく分かった
僕の場合は映画か写真かっていう事を
高校時代から思っていたって言う事があって
そういう意味では本当に生真面目な学生だったから
虫プロダクションって言う所に行ってみて
TV漫画を週一で作る
僕が入った時は2年目だった
そうすると、外から見ていると、碌に動きもしないTV漫画の仕事を毎週作るって言う凄まじい現場っていうものを見せられた時に
社会で最下層の仕事かもしれないけど、これは一体何なんだろうと言う事を考えて
3ヶ月いて覚悟した事があるのは、中卒の連中に負けたくは無いと思ったっていう事で
一年ぐらいはとにかく本気でやってみようという風に思って
何よりも「鉄腕アトム」っていう漫画は
僕がただ一つだけ小学校の頃から好きな漫画だったんで、その仕事をTV化するという仕事ならば
まぁ、我慢できる
何よりもフィルムをいじれる仕事だから、制作丸ごとを覚えてしまおうっていう風に思ってかかった事があって
とにかく「鉄腕アトム」の仕事を3年間やりぬく事が出来た
その結果っていうのが、実を言うと一生やってもいい仕事だと言う風に思えるっていう
ある、きっかけを手に入れたって事があります
やはり現実を億劫がらずに見つめる事が出来た自分の生真面目さには感謝はしている
ただ、その事が必ずしも褒められた事ばっかりでもないって言うのはありますけどね
浜野:
先ほど楽屋でテリーさんとお話していたら
テリーさんは新しい東京オリンピックの招致の委員をされていて
聖火ランナーの代わりに「鉄腕アトム」を飛ばして聖火を点けるという事を考えられているらしいぐらい
「鉄腕アトム」って言うのは我々にとってアイコンで
今でも今回の点でもそうなんですけどでもアニメーションって有る部分、東映動画と「鉄腕アトム」から始まって
我々にとっては歴史ですよね?
その歴史に参加しているっていう現場の雰囲気ってあったんですか?
富野監督:
その時は一ヵ月後の何月何日のオンエアに間に合わせる為にあと二千枚の絵を描かせるとか
一ヵ月半後のシナリオが無いんでどうするかっていう事をやってるだけだから歴史も糞も無いですよ
冗談じゃないっていう(笑)
大事なのはその時に365日「鉄腕アトム」漬けになったっていう事が
言ってしまえばその後、40年以上生かさせて貰えていると言う時代?を
手に入れることが出来たっていう事なので
その時には分からない事なんだけど、表現をするという事で
何か燃えている感触があったら上等下等は関係なく体を張るって言う事
その事が30年後の歴史を作るんじゃないのかなっていう確信論は僕の中にはあります
浜野:
富野監督には絶対聞かなきゃいけない「ガンダム」の事があるんですが
ロシアから招聘があってロシアに行かれてたって話・・・
富野監督:
知らない
昨年の話ですか?
ロシアの話は全く分かりません
何の話をしようとしてます?
浜野:
言いたい事は簡単で
今、ロシアで物凄い「ガンダム」ブームなんですね
富野監督:
えー
浜野:
サンライズの人に聞くと一度も放映された事もないし、一度もビデオ売ったことも無いし
一度もビジネスした事がないのに凄い今「ガンダム」がキャラクターナンバーワンなんですね
富野監督:
ロシアの話は知りませんけども
去年、北京大学という所に呼ばれて行って質疑応答を受けたんですが
学生は半分、半分はビジネスマンでした
中国では間違いなくまだ販売されていないんですが
僕はかなり有名人でした
おまえら一体何処で観たんだっていう話がありますし、
北京大学って一応国立ですよ?
共産党の息が物凄くかかっているような場所に呼ばれているって言う自体が何なんだろうかと
とにかく不思議です
本当の事を言うと許しがたい!から戦争したい!(笑)
浜野:
富野監督の悲劇ですよね
いつ行っても「ガンダム」で歴史を作ってしまって海外に行ってもね
多分作られたに時は先ほどの「鉄腕アトム」と同じで
その日その日のケツカッチンでこなしていくのが・・・
富野監督:
「ガンダム」の事に関してはもっと悲惨でした
「鉄腕アトム」は一応人気のある作品をTV漫画映画化なんです
「ガンダム」の時にはとにかく
「ロボットをモビルスーツと言われちゃ分かんねーよね」「打ち切りになってよかった!」
って関係者に全部言われました
浜野:
それが北京行かれてそうだっていうのはどういう?
富野監督:
「認知されるのは20年遅かった、悔しい」ってそれだけです(笑)
やっぱり現場の人間っていうのはは今褒めて貰いたいんです
20年後に褒めてもらってもちっとも嬉しくない
ただ、年を取ってくると、いつまでも褒めてもらえてとても嬉しいってのは当然あります
が、やっぱり作ってる時の評価がやっぱり欲しいし、いつか、こいつら見返してやるっていうのは
基本的に頭の遊びでしかありませんからあんまり楽しくないです
浜野:
また遡ってお話したいんですが
井上さんはバスケットボールの主将やってたんですよね
井上:
はいそうです
浜野:
熊本大学の文学部を中退されて
文学部って事はやっぱり何か表現活動に携わろうとされてたんですか?
井上:
そうですね
大学に行く時にはもう漫画家になると言う事は決めてたんですけど
浜野:
漫画家で文学部なんですか?
井上:
こういう事を言うのは若い人達に良くないかもしれないですけど
皆さんと同じかもしれないけど
時間稼ぎというか、すぐに漫画家にはなれないという事は分かってるんで
作品も無いし
漫画を描いて出版社に投稿しないといけない
その為の時間稼ぎとして
鹿児島の高校だったんですけど、今で言うセンター試験みたいなもの、当時の共通一時試験というのを受けて
点数が出て、大体この辺の学校なら受かるよと横線を引いたら熊本大学文学部ってのがあったので
それでここだ!と
高三の時のクラスは理系クラスだったんですけど(笑)
ちょっと文学部に行ってしまいました
浜野:
漫画を描けるという自信が出来た時に退学されて上京されたんですか?
井上:
退学したのは話せば面倒くさい話なんですけど
うちは母子家庭でお金が無かったものですから
日本育英会から奨学金を貰っていたのと、家庭の事情を学校側に提出すると
学費が免除になるというシステムがあったんです
学年に何人か受けられるというのがあって
それを出したらたまたま免除にしてもらったんですけど
漫画家になろうと思っているので学校に行ってないんです
そうすると当然、上に上がれないじゃないですか
一年から二年にはすんなり上がれたんですけど
上がれない事が確定した時に育英会の全額免除をすべて失って、決まりなので
”じゃあ、タダじゃないんなら行かない”っていうので辞めました
自信があった訳ではないです
浜野:
それで上京されたんですか?
井上:
その時はバイトで食ってたので、今で言うフリーターなんですけど
学校を辞めたのに熊本にいる理由も無いなと思って
東京に行く程の資金もビジョンもなかったので、とりあえず福岡辺りで(笑)
福岡でフリーターをやろうと
浜野:
先ほどの話で、漫画家になりたいから大学に行かないというのは何をやってたんですか?
井上:
基本的にはバイトしてたんですけどね
先ほど述べたように家庭の事情があるんで
それ程仕送りも潤沢じゃないですから
食わなきゃいけないというのがあるんで
古着屋とかで朝の9時とかから働いてたんですけど
当然その時間なんで「大学生はダメだよ」「いや、辞めましたから」
辞めてない時に働いてたんですけど
そしたら社員になっちゃって
浜野:
賞を取られて上京されたんですか?
井上:
福岡にいる時に賞を取ったんですね
それで、その賞金で上京しました
浜野:
それだけじゃ食えないですよね?
井上:
アシスタントを世話して貰ったんですけど
紹介して頂いて
浜野:
私自身の事を言うのは恥ずかしいんですけど、私は黒澤明っていう人の所で大学一年生の時に働いていて
授業料滞納で親が飛んで来て
土下座するぐらいに親が泣いて
「何でもいいからヤクザになってもいいから大学出てくれ」って言われて
大失敗ですね
井上さんみたいに思い切っていれば僕はクリエーターの方に座ってたんですけど
そこが意志薄弱で親孝行っていい事は何もないですよ
井上さんの話を聞く度にそう思いますね
それで、アシスタントから一人立ちっていうのはどういう形を?
井上:
基本的にはアシスタントって言うのは漫画家志望者の集まりですから
僕が入ったのは「シティーハンター」っていう漫画の北条司先生なんですけど
背景のビルとか色々描きながら、プロの技術を学びながら
同時に変更して自分の作品を作っていってそれで選んで行く訳ですね。
最初は読み切りが雑誌に載る為に色々作っていって
読み切が乗っても人気がなければ次が中々難しいんですけど
喰らい付いていって
ちょっと人気が取れたりすると連載の為の企画を作って行くっていう
それが通ったので「すいません、アシスタントを辞めさせてください」
って言う事で辞める事になりました
浜野:
「スラムダンク」って割とバチッと終わっちゃったでしょ?
台湾で井上さんの許可もなしに続編が出たり、それぐらい人気があるんですね
国際的な評価を意図されていたのか
そういうのを聞かれてどう思いました?
井上:
もちろんその最初の時にそういうビジョンがあった訳ではないです
国際的に受けたいとか、評価される人になりたいと思ってた訳では全然無いんですけど
日本の漫画が成長して来て世界的にも物凄く受け入れられるようになって来たという
時代だったので、それの恩恵を受けているのは確かです
先に開拓している作品が一杯ある訳ですから
その流れに乗ってるんだろうなっていう気がします
浜野:
今回、文化庁のメディア芸術祭の10周年記念展という事で
実は10年前にこのメディア芸術祭をやろうっていう委員会があって
私もそこに入って「漫画?アニメーション?そんなの芸術か?」そういう議論があったんですね
頭に来て、僕若かったですからね
「このやろう!」とか言って、やらなかったですけど
発言してある役所を3年ぐらい出入り禁止になったんですけど
それぐらい闘って結局、芸術祭の中に漫画とかアニメーションとか放送番組、ゲームそういったものを入れよう
やっぱし高いハードルがあった訳で、じゃあ新しい器で皆で一からやろうやっていう事で
言葉を捜して、当時は何も無かったんですよ
全体を表現する
ただ、自己表現としてアートって言葉は、私の個人的な意見ですけど
日本で芸術って訳されちゃってるんですけど
私は表現っていう言葉が一番近いと思う
そういったテリーさんが仰ったように自分を表現する
私はテリーさんの生き方っていうのはパフォーミングアートの新しい形だと思っているですね
そういった意思表現、新しい表現をやるっていうのは
大体いろんな本を使ったりTVを使ったり映画を作ったりメディアを使ってるから「メディア芸術」と呼ぼう
言葉から決めて行ったんですね
その後、海外でメディアアートって言葉が出来て来て
メディアアートとメディア芸術は全然違います
メディアアートって本当に純粋芸術の一つで定義していて
我々が言っているのはもっと広い意味で
新しい表現を作って行こうや、っていう所でメディア芸術を作りました
それで10周年やってここまで来たんですが
まず3人の方のお話を聞く前に、明和電機の土佐社長から挨拶と自分が考えてるご意見を
ビデオに撮ってますので、まずそのビデオを見て頂きましょうか
明和電機 土佐:
「明和電機」代表取締役社長、土佐信道です
趣味は碁です
以後*、よろしくお願いします
*駄洒落
本日は会場に行けなくて皆さんごめんなさい
どうしても外せない社運をかけた接待ゴルフがありまして伺う事が出来ません
申し訳ありません
メディア芸術というと非常に範囲が広いんですが
僕が考えるメディア芸術はやっぱりメディアですね
芸術家というのは何かを伝える為に必ずメディアを使います
一番古い物は多分絵画だと思いますが、
現在はいろんなテクノロジーが進歩しメディアが発達しました
僕は明和電機をやっているんですが、最初に作る物はやっぱりアート、芸術です
それを伝える為のプレゼンテーションで、TVや雑誌、CD、DVDおもちゃなんかを作っています
そういうメディアを使って僕は明和電機を表現して来ました
僕はそこをやっぱり僕にとってのメディア芸術だと思っています
浜野:
なんだか分かったような分からないような(笑)
今の土佐さんっていうのはパフォーミングアートの方だけど
そういった表現をする事自体をやっているんだと思う
内容はあんまり無かったんじゃないかと・・・あったのかもしれません
メディア”芸術”と付いているので何となく重たいんですけど
今度は井上さんの方からお聞きしましょうか
漫画が突然メディア芸術だと呼ばれて
井上さんはグランプリも取られた訳ですが、その時どう思われました?
井上:
あのグランプリは色々物議を醸しているようですけどね(笑)
そういう事言わない方がいいんですよね
単純に凄いありがたい事だと思いますし
特にネットに親しんでいる方の評価は受けてるっていう気がします
凄い嬉しい事だと思います
メディア芸術と言われましても
言葉の意味通りに言えば、芸術って事を日本で言う重苦しい芸術という事ではなく
さっき浜野先生が仰ったように
アートって言う表現っていう事で言うのであれば
漫画を現すのにこれほどピッタリな言葉も無いような気がするんですけど
というのはメディアって言うのは媒体みたいな事ですけど
人と人を繋ぐ物って事で考えると
特に日本の漫画って言うのは漫画雑誌っていう物があって週刊連載、月間連載、隔週とか色々ありますけど
雑誌で連載するって言う事が、その漫画を作るに当たっての大きなファクターになっているような気がするんですね
それはどういう事かって言うと雑誌で連載してるって言う事は単行本に一冊になる前提で
ぶつ切りの物を皆さんに毎週毎週ちょっとずつ出していくって言うのは
当然、長期の連載になるんであれば、3年も4年も先の事を皆さん決めていると思われるかもしれないですが
ほとんどの漫画家はきっと決めてないと思うんですよね
はじめる時に
連載って言う物をやりながら読者に投げていって、
どんな反応が返って来るかっていう事を毎回毎回やりながら、それを自分の中に取り入れて
次のを出して行くっていう形式で成り立っていると思うんですね
日本の漫画って言うのは
だから、メディア芸術って言われるのは、なるほどっていう風に僕なんかは思いますね
すごく
浜野:
井上さんって
自分でコントロールして自己統制してストイックな生き方をなされてるんですね
僕はそう思うんですけど
全てをコントローラブルにする表現としては小説とか漫画ってのは非常に向いてますよね?
井上:
凄く向いてると思います
浜野:
井上さんがアニメーションじゃなくて、実写じゃなくてTVの演出家でもなくて
漫画って言う表現を選択されたのはどういう所にあるんですか?
井上:
決定的に大きいのは絵を描くって事があって、絵を描く事が子供の頃から好きだったし
人よりは上手だっていう自覚もあったので
漫画における絵の締める重要度っていうのは、自分が漫画を読む読者だった時に絵で入る事が多いですし
そういう意味からも絵が描ける、絵の重要さっていう事で言っても
自分に取って一人でほとんどの事がやれるっていう意味で成功に一番近いというか
そういうものですね
浜野:
多分私が少しメディア芸術祭が良かったと思うのは
富野監督だったり、他ジャンルの方と接する機会があって
漫画も新しい融合とか
漫画が売れなくなったとかインターネットで配信
そういう状況でメディアを感じるって事はその辺無視してる?
井上:
どういうことですか?
浜野:
新しい漫画の環境も変わって来てますよね
井上さんもサイト持ってらっしゃる
井上:
漫画その物をコンピューターとか今、携帯でどうこうっていうのは凄くビジネスになるとかって言って
凄く積極的に皆さんされてますけども
漫画に関しては僕は紙で従来通りの雑誌に載っけて以上に広げようという気持ちは
自分の作品に関しては全く無いですね
全く無いと言うと「やってるじゃないか」*と言われるかもしれませんけども
*インターネット用に描かれた「BUZZER BEATER」の事?
例えば携帯で漫画を読ませるとかはネットで読ませるって言う時には
そのメディアに合った漫画の描き方を最初からそこでやるっていう前提で描いた物で無いと
紙に描く前提で描いてる物をただ持ってきたからと言って
そうやってまで読ませる意味があるのかと言ったら、僕は無いと思ってまして
やっぱり紙を手に取ってめくって言う事とかも含めての漫画だと思ってるんで
何の話でしたっけ?(笑)
浜野:
富野監督はメディア芸術祭のアニメーションの長もやられて
メディア芸術祭にどっぷり引き摺り込まれてるんですけど
メディア芸術については、言葉とかそういったご意見をちょっと
富野監督は怖いんだけど、是非
富野:
じゃあ期待に応えて怖い事を言いましょう
正直、メディア芸術祭という言葉・タイトルを聞いた瞬間にものすごく嫌でした
自分で何故嫌なのかっていう事を当然考えました
考えた時に、自分の言葉で言うのは危険なのでいきなりここで・・・
ケリー・・・えーと・・・イーグルトン*だったけか?
ご存知ありません?文化評論家、マルクス主義者、批判・・・
ごめん、今テリーさんがいるから名前を思い出すだろうと思ったんけども思い出せなかった(笑)
*テリー・イーグルトンの事
こういう事を言ってます
「資本主義体制化に陥った時に文化というのは産まれない、退廃していく、堕落していく」
これを翻訳するとこういう事です
ビジネスに載っかったら文芸とか文化なんてのは
台無しになって行くよねっていう文化論があるわけで
メディア芸術祭っていうロゴはそういうものを僕は含んでいると思いました
だからとても嫌悪しています
今、井上さんが言った通りです
漫画を紙に向かって描いているんであって
連載形態を意識した時に当然、メディアつまり媒体を意識するわけです
多少意識はするがその中で、人気が出ればこうするぞ、やっぱりダメだったらここで終わりにするぞ
っていう事を作家・漫画家達はしょっちゅう考えております
ですからメディアがなければ、アートも表現も糞もないんです
ビジネス主体、もっと分かりやすいいい方をします
アンケート至上主義で必ずしも勝ち抜く事が出来るかというと必ずしもそうではないっていう事なんです
ビジネスに余りにも擦り寄った表現と言うのは基本的に作品を作りえるとは思えない、と言う風に思います
だけど、3年前にメディア芸術祭の審査員をやらないかと言われた時に受けました
受けた理由は堕落するんだったら一緒に堕落して見せよう
そして、外側から批判するのは簡単なんです
そういう大学教授にはなりたくないんです
(会場笑)
誤解するな!
外から批判しているような大学教授にはなりたくないって言ったんだ!(笑)
時代の趨勢それからビジネスの趨勢
マイクロソフトが新しいソフトを打ち出してくるみたいな
とんでもない今ビジネスの表現、メディアという媒体がハードウェアその物が
ガラガラガラガラ変わって行って信用できないような所にいる所で表現しなくちゃいけない作家達・アーティスト達・漫画家達
それからテリーさんが今仰ったのもそうです
実は媒体に一番隣接した所で何を作ろうか、どういう番組を作ろうかっていうのでは始終しのぎを削ってるんです
渦中にいて歯止めはかけられません
歯止めはかけられないんだけど、だったら渦中にいて少しでも
マイクロソフトが潰れた時に作れる物、マイクロソフトが潰れた時に打ち出せる物を
50年後に作ろうじゃないかって言う意思表示をする為には
評論活動をやってるだけじゃダメなんだって言う事でメディア芸術祭の審査員を受けました
たとえアニメ部門の物であろうがそういうポジションにいてわかった事があります
やはり関与していなければ結局、いつの間にか自分は世間って言う時代からフェードアウトしていくだけだと
生かされている限りは、闘うなんていうかっこのいい言葉は使いませんが
生きている限りは、やはり何かをして行きたい、そして何かをし続けなければいけない
結果なんてのは分からないんだから
そして結果を少しでも良くしようと思ったら、評論しているだけは済まないから
この程度の事しか作れないかもしれないですが、
この程度の審査の為の形式って言うのは持ってはいませんけども
やはり、この程度の物でも一生懸命使って
今、時代が起こっている事は何かって言うのを見定めて行って
それを来年に来年に来年に来年にっていう風に伝える事を続けるっていうのも
これも僕はアート・表現だと思っていますので
あぁ、とても上手に言えた(笑)
浜野:
満点で(笑)
「役割が終わると芸術になる」「写真も役割が終わったら芸術になる」とか映画も最近芸術って言われてる
「芸術ってのは役割が終わったものだ」っていう事を言ったらしいんですけど
メディアと芸術をつけたこの言葉を聞かれてどういう感じですか?
テリー伊藤:
どうなんですかね?
ちょっとよく分かんないですね、僕は
僕はTVの仕事してるでしょ?
TVって言うのは一番もしかしたら芸術という所から離れてるかもしれませんね
例えばファッションでも洋服でもTVでこれが流行ってるって言った瞬間に
マスの人がそれを知ってしまう訳じゃないですか
それって死んじゃう事ですよね?
流行っているのを一瞬にして日本人が知っちゃうんだから
そこで流行ってる事を自分だけが知っていたという特権意識が全て崩壊していく訳だから
すごく怖いなと思いますね
心掛けているのは、TVはタダで観れるじゃないですか
自分の中でたかがTVというのとされどTVと言うのがあるんですけど
この二つをいつも意識として持ってるんですよ
芸術と言うのは感性を問う物かも分かんないですけど、TVというのは感性を問わない物だと思ってるんですよ
他のメディアと決定的に違うのは
どこのラーメンが美味いかっていうのは感性を問わないでしょ
何処の旅館がいいとかっていうのは
アレをやり続けるっていうのは物凄いんですよね
TVって上下関係が無い様な気がするんですよ
TVというメディアは
普通の会社は入ると上下関係あるでしょ
先輩後輩って
TVでやるものは基本的に上下関係がない物がいいかなと思うんですよ
特にあれ、コケましたけど「あ○あ○大辞典」で納豆食うとダイエット!って
子供も食べるでしょ
で、年配の方も食べますよ
アレまさに感性問うて無いですね
感性問わないものがヒットするんですよね
で、ノコギリ妻と言われているカオリ容疑者
白百合卒業して何もバラバラにする必要なかったんですけども
彼女が何で旦那の首持って小田急線乗んなくちゃいけなかったのか
彼女は小田急線に乗ってる時どんな気持ちだったのかっていうのは
小学生でも喋れるんですよ
おばあちゃんでも喋れる
ヤクザでも喋れる
東大の学生でも喋れる、という
これって物凄くTV的なんですよね
いろんな人が自分の経験の中で喋っていけるっていうのは
TVってのは基本的にそういう所が、僕は大衆芸術だと思っているんですね
それは凄いなって思って
もう一つ
僕が心掛けているのは
どっかドキュメントとバラエティーというのは自分の中にあるんですね
僕は物を作っていく上で
作り物の凄く手をかけて作っていくという物があるじゃないですか?
例えばドリフのコントとか志村けんさんのコントとか
何日もリハーサルやって作り込んでいくんですよね
あれはすごくいいんですけども、僕は無理だなって思ってるんです
僕は作り込むのがあんまり得意じゃないから
でもさっき言ったドキュメンタリー的な物なんだけども、僕も一緒にやってた土屋さんっていう人がいて
「電波少年」(日本テレビ)ってのを作っていて
彼が作っていたのはドキュメンタリーですよね
僕は「ASAYAN」(テレビ東京)をやらしてもらって
最近では「給与明細」っていうのをテレビ東京で深夜やらせてもらってるんですけど
それもたまたま車で走ってたら横にフェラーリに乗ってるいい女がいたんですよ
21ぐらいの
この21の女、何でフェラーリ乗れるのかなと思って
どんな給料貰ってるのかなと思って
知りたいなと思ったんですよ
それで番組作って人の給料知りたいなと思って「給与明細」って番組作ったんですけど
そういう人間の本質みたいな物ってあるじゃないですか
そういうので番組を作っていくっていう
日本のそういう変態的な視点に対する物
あの人カツラしてるんじゃないかしらとかっていう
カツラを隠すのが世界で一番隠したがるのが日本人なんですよ
次がドイツ人なんですけども
アメリカ人はデートの最中にカツラを取るんですよ
日本人は絶対取らないですよね
日本人は変態でいいんですよ、そういう所が
ひた隠しにするという
日本人が持ってるロリータ意識的なものがあるじゃないですか
いくつになっても
日本人は全員ロリコンだと思ってるんですよ、僕は
そういうのが特出してるんですよね日本人は
日本人、ロリコンってのが
これはいい事なんですよ
世界中が今、日本人みたいになって行くんです
今、日本の持ってるロリコンパワーみたいな物が世界を制するんです
IT文化なんて言ってるけども、あんなもんたかがしれてるんですよ
20年ぐらいで終わりますから
だから日本人のやらしそーな
さっき言った”白百合”って言うだけでキラッとするでしょ?
それがノコギリ妻なんですよ
物凄くいいんですよ、それが五感をくすぐるんですよ
ま、どうでもいい話なんですけど
そういう所の部分を持ち合わせてるって言うのが誇るべき日本人の資質なんですよ
富野監督:
質問
何故、ロリコンがいい訳?
テリー伊藤:
年配の女性を認めないでしょ?
日本人って、なんか・・・
浜野:
いや、まぁ
議論が深くなっちゃうと時間があのアレなんで
テリー伊藤:
今度ゆっくり話しましょう!
僕はロリコンではないですけども
僕は本当は好きじゃないんですよ
もっと大人の女性を愛してるんですけど
30過ぎても一番機みたいなファッションしてるじゃないですか、女性も
あんな世界ないですよ
浜野:
ディズニーのTシャツ大人で着てるの日本人ぐらいですよね
テリー伊藤:
そうですよね、ダメですよね
萌えもダメですよ!
萌えも!
浜野:
それでね
(会場笑)
もう一つお聴きしたいのは
メディア芸術祭をやる時に、アートって言うのは目的的に欧米のお金持ちが作ってきた物なんですね
ミュージアムに飾って
日本は日常の器とか着てる物とか日常の美で美しさを育てて来たんですね
だから目的的な絵画って実は日本に無かったんですね
そういった日本的な美の異議申し立てをメディア芸術祭でもやりいというのがあったんですね
そういった事で、ちょっと時間が押し迫ってるんですけど
井上さん、自分がやってて日本的な物っていうのは何か表現に関係してるんですか?
漫画って言うのは日本のストーリー漫画が海外でもスタンダードになりましたよね
日本の表現が海外のスタンダードになるって非常に珍しい事なんで何かあるんじゃないかと思うんですけど
井上:
ちょっと違う方に行くかもしれないですけど
海外で今、日本でクールって言われてる物とかは例えばテリーさんが仰ったようなロリコンっぽいアニメの・・・
テリー伊藤:
秋葉系もそうですよ
井上:
そうですね
僕の漫画とはちょっと違うタイプの絵の方達だったりするんで
逆に「あれの何がいいんでしょう?」って僕は聞きたいんですけどね
浜野:
そうだ、せっかく井上さんが用意されたDVDがあるんで
これはどういう?
井上:
これは「DRAW」*っていうタイトルなんですけど
僕が「バガボンド」っていう漫画を描いてるんですけど
それを描いている過程を、その手元をただ撮っただけの
*井上先生の公式サイトで購入出来ます
浜野:
それを流しつつ
井上:
今、そういう物が日本的と思われてる節があるじゃないですか
逆に僕はちょっと分からないですね
そういう所に切り込める差異はないと思うんで
ちょっと分かんないですね
浜野:
僕の個人的な意見は表現っていうのは底辺が広くないと
ぽこっといいものだけっていうのはあり得ないんですね
どうしても表現は毒がありますから
裾野が広いから頂上が日本は高くなってるんじゃないかなって
そういう感じがするんですね
子供達が、エロチックな物を表現しようとする漫画を欧米はそれをただ禁じてるんだけど
いろんな表現手段として簡単な
でも凄く奥が深い表現として漫画ってのがあって
それが欧米に伝わったんじゃないのかな
井上:
そうですね
制限がないですよね
日本は圧倒的に制限が無くて他の国では
いろんなシーンで引っかかって来ちゃうんですけど
日本はそういう制限が無いに等しいですし
あとはやっぱり仰ったように裾野が広くて
あれだけの雑誌があって、あれだけの作品数があって
厳しい読者の目に常に晒されてるっていう事が大きいと思います
浜野:
富野監督、こういう論点は
富野監督:
今日は時間が無いので極力喋らない努力はしてます
今、お二方がお話してる所で
一つだけ簡単にこんな事が言えると思うんです
山折哲雄という宗教学者、社会人類学者が仰ってる事なんですけど
日本っていうのは絶妙に東洋と西洋の文化が融合している所で
その痕跡がきちんと残っているのは日本であってそういうものを我々は
明治150年の間でかなりいい形で自分達の物に作り変えるスキルを発揮した
それが何よりも今、浜野さんが仰った通りです
美術館とか収集家の倉庫に閉じ込めるのではなくて
日常の中にアート、つまり作られた工芸品です
アートを置いてしまうという日本人がやった事が
今、海外から認められている事
ロリコン系とか癒し系だけが今、海外に受けているというような感じ方は
今はマーケットリサーチが僕は偏重してるだけの事で
そうではないという風に思っています
浜野:
テリーさん、今「日本がクールと言われている」と言われてますよね
テリー伊藤:
クールですか?
ジャニーズ事務所ってのがあるんですよ
それは物凄い文化だと思ってるんですよ
世界であんな文化は無いですよ
だって可愛い男の子とか一杯いる訳ですよ
それが今まで日本の芸能界でトップスターで居たって5年ですよ
石原裕次郎を持ってしても5年ですよ
吉永小百合も
SMAPは15年ぐらいトップですよ
ほんと芸能界の奇跡ですよ
今までの日本の芸能史、何年あるか分からないけど
こんなのあったのか!可愛い男の子がいっぱい沢山集まって歌って踊って
さらに男前が三枚目もやる訳でしょ
これね、例えばアメリカのヘビメタなんかはみんな体鍛えますよ
日本のヘビメタの人って線細いでしょ
YOSHIKIさんも含めて
これでいいんだ、って事を教えちゃったんですよね、世界に
だからモーニング娘も含めて賛否色々あるかも分からないけども
ジャニーズ形態の物ってのは世界中に増殖して行きますよね
富野監督:
今の話聴いて追加させて頂きたく、急いで
一神教と多神教の違いだと思う
要するに絶対神、絶対神様を設定する気分とそうでない・・・
浜野:
また危ない所に入って来ましたよ(笑)
どうぞ
富野監督:
いや、今これ以上説明したら、また10分ぐらい以上経っちゃうから辞めよう
浜野:
最近変な調査があってBBCっていうイギリスのTVが調査して
「どの国が好きか」っていうのでダントツで世界一が日本がだったんですね
ただ中国と韓国だけは嫌いな方が多いんですが、それでも平均値をやると
やっぱりなんか優しさとか・・・
富野監督:
ただ、多神教つまりアニミズムがいいかって話はこれもまた一方的なんですよ
さっき僕がメディア芸術祭っていう言い方がとても嫌だっていうことで言うと
日本という国が、風土が経済的に産業的に完全に爛熟期に入っていて
要するにまさに平成爛熟なんですよ
ジャニーズ系みたいなのが流行ってるっていうのは確かにいい面もあるんだけども
あぁ、ここまで酷くなったって言い方もあるんです
みんなの趣味が悪くなったって言う言い方もあるんです
だけども間違いなくジャニーズ歌舞伎だってあるような時代な訳だから
今と言う瞬間風速で言えば芸能としては僕も評価してます
評価してるけども、それが高等な物なのか、高級な物なのか、文化なのかって話は全く違う話
だからそれを一緒くたにはしちゃいけないんだと思うんだけども
高級を目指す事が必ずしも僕は芸術祭だとも思えない、っていう部分もあるから
僕はやっぱりメディア芸術祭でいいんじゃないのかなという風には思ってるんです
浜野:
メディア芸術祭に富野監督が入って頂いたのは
そうやって悪口とか、中からそういった批判を出すっていう事で
監督が入っていただく事が一番いいやって言うんで
入って頂いて案の定こうやって悪口言って下さって
もう時間が来たんで、今から明和電機のあれをお見せするんですが
その前に、せっかく若い方がいらっしゃってるので、ご自分の表現活動に携わるきっかけとなった作品とか
若い方にこういう作品を見て置いたら、って言う事も含めて短くメッセージを最後に頂くんですが
ちょっと考えて頂く間に明和電機の最後のメッセージを観ましょう
明和電機社長 土佐:
今後は機械を使った表現は変わらないと思うんですが
自分が作る機械と言う物は13年間作って来たんですけど
もう一つ機械と言うか社会という仕組みの機械もあるんで
そこをちょっと改造するような仕事をしてみたいなっていう気持ちがあります
僕の究極的の目的は、僕という機械を作る事が出来たらそれが一番僕の究極の目的です
その考えを社会に応用すると
みんなが僕みたいになる、そういう機械を作ってみたいですね
それはもしかしたら教育とか技能とかそういう物かもしれませんが
そういう仕事をしてみたいです
浜野:
ま、若い人にメッセージが来ましたから
井上さんから
井上:
僕が漫画家とか表現者になりたいって言う若い方にこれを読めと言うんであれば
ま、やっぱ僕の・・・(笑)
「バガボンド」「リアル」「SLAM DUNK」とあります、どれでもいいんで(笑)
それは冗談ですけど、半分本気ですけど
僕がこれを読んで漫画家になったって言うのは
一個上げるとすればやっぱり「ドカベン」です
最近読んでこれはいいなと思ったのは
実は僕と同い年の「森田まさのり」っていうのがいるんですけど
彼が少年ジャンプで年齢と闘いながら頑張って続けて来た「べしゃり暮らし」ってのがあるんですけど
必ずしも評価されてないかもしれないですけど
凄いなやっぱりこの人はと思いました
読んで頂ければ分かるかもしれませんけども
物凄くきちんと作られているっていうのを
僕はそれを持ってやっぱこの男は凄い、と思いました
色々進む道は有ると思うんですけども、自分を削らなきゃいけない場面っていっぱい出てくると思うんですけど
絶対に削れない自分っていう物を残して頑張って欲しいなと思います
何があっても自分はコレっていう部分は残す
それを持っているといいんじゃないかと思います
浜野:
どうもありがとうございました
じゃあ富野監督
富野監督:
僕がこの仕事に就く事が出来たのは「鉄腕アトム」っていう漫画です
間違えないで頂きたい事が一つあります
55年前に3年間「鉄腕アトム」漬けになったという立場ですが
その時の戦争に負けた後の虚無感漂う中で見た「鉄腕アトム」という漫画の
アメリカナイズした素晴らしさというのには影響を受けました
それを日本人が描けているっていう事で本当にカルチャーショックでした
これ以後の勉強になる物って言う事に関しては一転して年寄りらしく言います
俗に言う「世界百選」って言われているような名作
漫画に限らず、小説に限らず、演劇に限らず
そういうのを見る努力をしてください、読む努力をしてください
絶対に損はしません
自分自身がそれが出来なかったばかりにどれほど損をしたかって言う事を
身に染みているからこういうお話をします
「世界名作百選」伊達じゃありません
これはDVDの「世界名作百選」でも全く同じです
ともかくそれをフォローしてください
井上漫画一本だけ見てるとバカになります(笑)
浜野:
何度もバカばかり言ってるのはどうなんですか?(笑)
富野監督:
だって(笑)
あなた達(若い聞き手)が作るのは5年後、10年後、20年後、30年後の作品なんだから
その時代にあったsomethingというのが一本の作品の中にあるなんて思ったら
それは、めでた過ぎますよ
浜野:
どうもありがとうございます
最後にテリーさんお願いします
テリー伊藤:
僕は時代の中にそれぞれが時間を忘れるような作品があれば
それはそれで今見てるヤツで充分だと思います
僕もそうでしたから
家にあるビデオで充分だと思います
あとはなんで植○教授、否認してるんですかね
あれが分からないんですよ
だから、僕は物よりも人物の心理が好きなんですよ
富野監督:
だから真面目つまり生真面目を演じるって言うのは物凄く嘘付く事になるから
テリー伊藤:
皆さんも洞察力って言うのがすごく大事だと思うから
洞察力養ってください
富野監督:
その為には勉強しなくちゃいけないんですよ
浜野:
はい、どうもありがとうございました
今日私は一番最大の収穫は、帽子を着るとクリエイティブになるのかなと思った(笑)*
*パネリストの3人は皆、帽子を被っていた
テリー伊藤:
照れなんですよ
帽子を被るっていうのは照れなんです
現場に行くと前に鍔があるんですね
自分が迷っている時に隠してるんです
「俺が言った事間違ってたかな」って言う時があるんです
それを誤魔化してるんです
浜野:
メディア芸術祭、やっと10年来ました
それで新しい血を入れてまた再生して常に自分を評価しながら
前に進みたいと思います
その為に今日いろんなご意見を頂きました
皆さん参考になったかどうか、私は参考になりました
本当に忙しい所どうもありがとうございました
またよろしくお願いいたします
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富野監督は他の方が喋っている間、熱心にメモを取られていたのが印象的でした。
展示の方も2週間という短い期間なのが勿体無いぐらい盛りだくさんでした。
他の日程では女性漫画家さんのシンポジウム等もあったようです。
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